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2008/06/05

OSANPO日記7

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さて、一年以上ぶりのOSANPO日記です。キノトロープをオープンしてから、一度も書いていませんでした。その間どこにも出かけていなかったのかというと、そんな事はないのですが、ちょっぴりさぼってしまいました。
ぐうたらついでに、今回は心のお散歩、つまり足休めする事にしました。それをするには、やはりお湯の中が良いではありませんか。ボーッと静かな温泉につかりたい。
そこで近場に良い温泉は無いかとぱらぱら雑誌をめくってみると、水月ホテル鴎外荘が目に止まりどうやらそちらに温泉がある様子。ぶらっと行ってみる事に決定。このホテルちょっと都内ではあまり見かけないタイプの造りになっていて、入り口は、箱根かどこかの温泉場を思わせる落ち着きがある。さらに文人森鴎外の旧居がすぽっとホテルに包まれた造りになっている。
「ここかぁ。」と入り口に立って思い出したのは、6、7年前に一眼レフ、ペンタック
スMZ7を手に入れてすぐのこと。ぶら〜っとカメラッ子気取りで上野駅から美術館方面 に歩きながらぱちぱちやっていると、どんどん静かになってきてお墓あり、浮浪の方の集合地域あり、ガードレールにほされた洗濯物をチラ見しながら、ついに迷った事を自覚。でも、後戻りはできない。そのままてくてく歩いていると、目の前の建物の隙間から、大きな太陽が顔をだした。不安を解いてくれた太陽をぱしゃり。なんか良い予感。
そうだ、そしてこのホテルを右に曲がり、迷路から解放された気分をあじわったんだ。
ありぁ〜終わっちゃったじゃないの。入り口だけでお散歩日記書けちゃいました。
ところで、おまけと言ってはなんですが、鴎外荘は、温泉もお部屋もシンプルでした。
セールスポイントは、日帰り入浴OK!近場で旅気分を味わえて、鴎外の足跡にふれられる事ですね。とはいっても文学などてんで分からない私、あの時代の最先端を走った
一人の文人のぜいたくな心の旅をした空間を拝し、自分の心に取り込みました。
次回は完全復活しますので、おたのしみに。

高田 百合子

2007/06/19

OSANPO日記 その6

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たとえば、わたしとあなた。男と女。西と東に今や昔。たして交わり何かが生まれ、解けて膨らみ、満たされる。神楽坂もそんな町。かつて日本人は西洋文化に憧れ、西洋人は日本の神秘に惹かれた。遠く離れた人々は手を伸ばし東西オセロのような町をこの坂道に創った。神前で音楽を奏でたという由来の神楽坂。見上げると真直ぐの坂道が続いている。しかしながら、くるみの実を削りとるように足を進めなければ、この町の魅力に出会うことはできない。まだまだ足を運んだ事の少ないこの坂道で、書ききれないくらいの魅力的なお店や人にであった。
上って大久保通りの手前に相馬屋という文具屋さんがある。江戸時代初期からの歴史をもつこちらのお店は美人画や町人文化の美を書き綴った鏑木清方他多くの文人が原稿用紙を買ったという足跡がある。さらに、その裏に拡がる料亭街のあたりで文人達が芸者さんの肩を抱き寄せたに違いないと思いをめぐらすことができる。

また、同じ区域の隙間にはそば粉クレープのお店ル.ブルターニュ。お店はオープンテラスでドアノブは小さな靴の形をデコレイトしている。こちらの仏人シェフは日本蕎麦を愛しているらしい。その他にもサン.ファソンをはじめとする多くの仏料理店や伊料理店。日本家屋に木を通した温もりあるお店、まんじゅうカフェ麦丸。こちらのお店は、おねぇさんが手作りのおまんじゅうやチャイなどを出して下さるのだが、いつかおじゃました時などはカウンターから出てきたおねぇさんがギタ−を椅子の上から取り上げ、お客の男性と歌う姿を本をよみながら盗み見たことがあった。目の前の石油ストーブの炎がキャンプファイヤーのように感じられ、照れくさいような、懐かしいようなそんな幸せな時間だった。

その先の東西線神楽坂の周辺にも多くの楽しみが点在する。境内にカフェや料理店があり、ジャズフェスティバルや催しも多い不思議ふしぎな赤城神社。そこを左手に折れてパン屋さんでパンを買い、パンをかじりながらぶらぶら歩いた日があった。蔦のからまる煙突をながめ見ながら突き当たると、セッションハウスと名の付いたギャラリーがあり、沢山の人々が手をつなぎ、円を創った画が飾られていた。笑顔で迎え入れてくださった作家さんの好意に甘え、会食に参加した私は今まで聞いた事のない素晴らしい即興のメロディーにであった。作家さんは、なんとワハハハーアハハハと笑い声に絶妙なメロディーを加え、着物の女性がブーツでピアノのペダルを踏む。隣の画には涅槃の様子が描かれていたのを覚えている。

まだまだ語りつくせない何層もの魅力を持つ神楽坂。是非みなさんも掘り出して味わってみてくださいな。   

高田 百合子

2007/06/19

OSANPO日記 その5

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今にも倒れてきそうな木造家屋がひしめき合っている。その隙間に視線を向けると、なんてんの赤い実が血しぶきのようにアーチを描いている。本郷は前を見て進めない町だ。
東大の赤門からレンガに沿ってぐるりとまわる。夢路美術館の前には美味しそうなカレーの
看板。『さっきミュンで食べなければな〜。』次回、じかい……。
春日のお局様が眠る麟祥院を目指したつもりが、不忍池に出てしまい『まぁいっか〜。』
あひるや鴨や今迄見た事もないほど大量の鳥達。図鑑があったら広げてみたいものだ。『こんなに近くで羽ばたく鳥の筋肉をみたのはいつだったかなぁ〜。』脳の中の塊が背中を伝って流れ落ちた。
池を背にして5分程歩くと、旧岩崎邸に 続く坂道がある。じゃり道の感覚を楽しみながら坂道を上ると、歯を見せずに笑う御夫人が出てきそうな邸宅に着いた。どの部屋にも違うかたちの暖炉があり、 広いテラスがある。燃える火の音や匂いや温もりを感じながら、なんてぜいたくな暮らしをしていたのでしょう。洋館の裏手には和室があり、そちらで抹茶と和 菓子を頂く。広さはあるがシンプルな和室だ。和と洋を備えるならこれくらいが心地良いのかもしれない。縁側に広い芝生にビリア−ド場。こちらを建てたジョ サイヤ.コンドル氏は日本に
洋建築を伝えた人物で、御茶の水のニコライ堂や文明開化の象徴ともいえる鹿鳴館を建設し日本の建築家を育て、その一方で日本文化をイギリスに伝えた。彼の力がなければ井上馨が晩餐会を繰り広げることもなかったのでしょうか?
さてと、夢見心地もいいけれど私は下々な訳で、いっちょ運だめしでもしちゃおうかな。
暖かいオーラに包まれながら、おみくじを財布の中にしまい込み、湯島天神を後にした。
『あ〜ぁ。今日も歩いた歩いた。』オレンジ色の光が万世橋を幻想的に変える。
東京は不思議な街だなぁ。雑踏の中にオアシスがひょっこりと顔を出し、それが以外と濃厚に心に染みたりする。ちょっとのおいしさがけっこういいのかもね。

高田 百合子

2007/06/19

OSANPO日記 その4

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目の前に八ヶ岳が姿を表し、色付く木々に囲まれながら車は町に入ってゆく。ふと左の窓
に目を向けるとよく熟れた柿の実が目にはいった。「着いたの?」直系1mの藁玉がぶら下がリ、藍色の七堅の れんの脇に書かれた創業300年の文字が威厳を感じさせる。
背筋を伸ばしてのれんをくぐると、やさしい笑顔の番頭さんが私達を迎えてくれた。
6種もの聞き酒をしていると体が少しずつ熱くなってきた。最後に出された熱燗に口をつけると、「家の中を御案内しましょうか?」そう言われて後に付 き、冷たい畳の部屋に足を移した。「今日11月14日は十一代目の命日なんですよ。」名のある宮大工が作った仏壇には灯りがともり、様々な調度品は総べて が美しく視線は何ものにも邪魔をされない。天保の時代から甲州街道を歩く人々の目に触れて来たこの造り酒屋は、170年前に建て替えてからは一部壁を除 き、手を加えられずに保たれて来た。そして、明治13年6月22日に当時神と崇められていた明治天皇をお迎えする行在所として使われ、昭和21年に天皇が 人間宣言をされるまで何人も立ち入りを禁じられていた。その後国定の文化財に指定され、人々に解放され歴代の長男のみが住む事を許されてきた。行在所(あ んざいしょ)の立て看板の上には、この世にニ枚と無い明治天皇老年期の肖像画が飾られている。写真がお嫌いだった天皇の貴重な品らしい。
上を見上げると、中国竹林の七賢人が描かれている。彼等は、当時の政治や世の中に不満を感じ、俗 界を離れて酒を酌み交わしていた。(上は、内藤家<今の新宿御苑>より送られた物で、七堅の名前の由来でもある。)酒はどんなに人を癒し、悩ませ、和ませ て、覚醒させてきたのでしょうか?心を開かせ、結び付け、そして傷つけてきたのでしょう?一枚の紅葉さえ色濃く目に映し、心を高揚させる香の水。七堅さん の透き通るお酒を戴き、口の中で解けて消える甘味を感じながら目を閉じる。甲府を見下ろす昇仙峡の 景色を思い出してみる。頂上の天空に届くような石の脇に酒造りを辞めて天狗になった男が祀られていた。
世の刹那から逃れ酒に酔いながら高く飛んだ のがこの季節なら、彼は幸せだったと私には思えるのです。あの石の上でこのお酒が飲めたら私も天狗になってしまったかもしれませんね

高田 百合子

2007/06/19

OSANPO日記 その3

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益子駅に行きたいんですけど〜」「道を聞く時は、車降りて聞くもんだ。」

……..怒られたんです。謝ったんですけど、凄いけんまくで…あんなの初めてで、びっくりしちゃって…..
「ここの人達は他人には厳しいからね。どうする?とりあえず12時だし食事しようか?どの店がいい?」
目の前には三軒の素敵なレストラン。その中でも心惹かれたのは、沢山のひょうたんライトがぶらさがるオーガニック料理のお店(穀物菜食レストランカフェjamu raunge)
私達は一番奥の個室に靴を脱いで上がり込んだ。なんて落ち着く空間。石油ストーブの上に乗せてあるやかんからは湯気がホワホワ出ていて、土壁のひび割れは緊張感を和らげ、センスの良い花が生けてある。全てが柔らかい線で繋がっている。
「かわいい〜、そっちが良かったね〜。」私達二人は声を上げた。今回案内して下さる陶芸作家さんの前に置かれたひょうたんの器の中には沢山の具材が盛ら れ、はじから緑のはっぱがチョロリン。「ひゃ〜。」はじに添えられた皮に包んで食べるらしい。「なにこれ?あわ?ひえ?なんか素朴な味だね〜。」「なにな にこのオブジェ。え〜、この鳥みたいなのもひょうたんなの?すご〜い。」「あ〜なんか眠くなってきたなあ〜」…………..「あれ、もう二 時すぎてるよ〜。」

蛇行する道。車は益子焼きのお店が連なるメインストリートへ…..何軒もの焼き物のお店、ギャラリー、染め物のお店、田舎の雑然とした陳列棚を想像して中に入ると、電車ではるばる来た事も忘れさせる都会的な洗練された空間に驚き声をひそめた。

少しうすぐらくなった坂道をのぼると車は静かに停止した。私達は、登り窯や工房見学をした後、つかもと美術記念館の引き戸を開けた。
「あら〜、お久しぶりですねぇ〜。」中から女性の声。……..???どうやら陶芸作家さんは知り合いの女性がこちらで働いている事を知らなかった らしい。つまり偶然の再会。私達は見学し終わると、喫茶室でコーヒーを入れてくださるという御好意にあまえる事にした。
「入り口にあった大きな焼き物は、人間国宝の島岡さんの作品なんですけど、このカップも島岡さんがプレゼントしてくださったの。」「あ〜、このカップ〜、 さっきのお店で八万したやつだよぉ〜うわっ緊張だよぉ〜。」厚みがあってやさしく唇にフィットする。「島岡さんは世界に日本の焼き物を広げた浜田庄司さん のお弟子さんで、私の婚約者のおとうさんなの。」……「えっ…….

スッゥ−。鼻を通って脳に到達した菜の花色。丘の下に広がるのどかな風景。振り返ると黒い一匹のわんちゃんと日本家屋。
右手には焼き物が積まれ、左手にはろくろのある小さな作業部屋がある。都会に住む人の中のはここに身を置きたくなるひとも多いかもなぁ〜。陶芸作家さんの 家に上がり込みこたつに入る。……..ろくろ…さむい…こたつ…ろくろ…こんど…..。

粘土の感触は次回のお楽しみにするとして、今回のお散歩は自分と向き合う良い旅でした。やっぱり自然を無視しては生きる事が出来ない私達。それを文化にか らめて創造し生活する人々に触れる事で、私達人間の向かうべき方向をあらためて実感することができました。色々と教えてくださったみなさんに感謝します。 明日もこんな気持ちでいられますように……
あっそうそう。陶芸体験してみたい方御相談下さいね。

高田 百合子